★ 卓越した血統 ★
(BloodlineofDistinction)
アメリカン・フィールド誌1997年クリスマス号
BloodlineofDistinction
卓越した血統
TheLegacyofRobertG.WehleandHisElhewPointers
ロバート・G・ホイールとエルフュー・ポインターの遺産
聞き手 EVERETT SKEHAN(──)
六十年以上の長きにわたって、フィールド・トライアルと狩猟の両方で活躍するハイクラスなポインターの繁殖を続けてきた、エルフュー犬舎のオーナーのロバート・G・ホイール氏(以下ボブ)の功績は誰もが認めるものです。
彼は偉大なアマチュア・フィールド・トライアルマンとしても知られています。
エルフュー・ジャングル、エルフュー・ゼウス、エルフュー・マークスマン、エルフュー・ダンシング・ジプシー、エルフュー・ホリー、エルフュー・クリケット、エルフュー・カシー、そして無類の逸材エルフュー・スネークフットを代表とするボブのポインターは、オールエージ、シューティング・ドッグ、グラウス・トライアルでナショナル・チャンピオンに輝いています。
このインタビューはアラバマ州ミッドウェーにあるボブの自宅(冬季用)で行ったものです。
彼の自宅の周りは、シカの群れがうねった野原や森林の真ん中でブラブラと草を食んでいます。沼には、魚を捕るためにGreat Blue Heron(アオサギ)の群れが片足で動かずに浅瀬にたたずみ、葦の上を舞ったり、群れになって泳いでいる水鳥の姿がありました。私はここの素晴らしい自然美に魅了されました。
【父の影響】
──これまで数多くの鳥獣保護区(サンクチュアリ)や野生保護区を見てきましたが、ここはさらに美しい場所ですね。この場所を見つけるのにはずいぶん時間がかかったでしょうね。
ボブ 冬になるとウズラが数多く生息する場所を十五年間、探し続けていました。ここは蛇を心配することもなく、冬の間中は狩猟ができます。天候が冬の鳥猟犬訓練に最適だったのも魅力的でした。
──ここの自然は、二十一世紀を迎えるアメリカに奇跡的に残った楽園(パラダイス)のように美しいですが、いつも環境に気を遣っているのですか。
ボブ とても気を遣っています。私は人口問題と環境問題の両方に関する研究に十年を費やしました。
──人口問題ですか?
ボブ そうです。私は早くリタイアして、InternationalPlannedParenthoodFederation(IPPF・国際家族計画連盟)のナショナル・ディレクターになりました。一九五九年、三十九歳の時です。
──なぜ始めようと思ったのですか?
ボブ 爆発的な人口増加とともに世界的に蛋白質不足が進行していたからです。その当時、地球上の七〇㌫の人たちは、私たちの犬より粗末な食事をしていました。
この状況の深刻さをできるだけ多くの人に認識させるために、当時のアイゼンハワー大統領に協力してもらいました。彼は非常に協力的でしたよ。
しかし、十年にわたって研究してきましたが、残念ながら、人口増加を止める有効な手立てはないと判断した私は、テントをたたみました。人口増加は必然的なものであり、できることは何もありません。
──あなたは注意深い繁殖プログラムを通じて、植物から鶏、豚、牛、そして競走馬に至るまで、あらゆる生物を進化させることに魅了されていると思っています。
なぜ、鳥猟犬の繁殖を生涯の仕事としたのですか?
ボブ 鳥猟犬が好きなだけです。私は鳥猟犬をもっと良いものにしたかったし、今もそれは同じ気持ちです。
──キッカケは何だったのですか?
ボブ 父が鳥猟犬を飼っていたこともあり、気がついたら鳥猟犬にかかわっていました。少年時代は父の犬の訓練は私の仕事でした。とても楽しい経験でした。
一九三〇年代のジェネシー・バレー(GenesseeValley)には多くの野生のキジやウズラがいました。父は私に狩猟や鳥猟犬のことを教えてくれましたが、私は父よりも年上の老農場主ハワード・パープルに連れられて行ったグラウス猟が記憶に残っています。彼のセターがポイントしたゲームを撃ち落とすのですが、その面白さに魅了されました。
──楽しかった思い出ですか?
ボブ そうです。彼と一緒に経験したことは今でも楽しい思い出です。彼はグラウス・ハンターとしてはナンバーワンでした。また、フィールド・トライアルマンでもあり、良いセターを飼っていました。
【エルフューの始まり】
──あなたの幼い頃の思い出がハワード・パープルのセターの後を歩いていた楽しい日々であるならば、なぜ、ポインターにしたのですか?
ボブ 最初から計画して始めたわけではなかったので分かりません。私が初めて飼った一頭はセターでした。次に何頭かのドイツ・ポインターを試みましたが、好きになれませんでした。その後、数頭のショー系のポインターを入手しましたが、同じ様に好きになれませんでした。
ある時、仕事でイングランドとスコットランドに行く父から、「お土産は何がいいか?」と尋ねられました。私は「見つけられる最高の牝のポインターを連れて来てほしい」と頼みました。一九三六年のことです。
スコットランドのグラウス・ムーアから父が連れて来たのは、私が頼んだ牝のポインターで、ジェム・オブ・フェーンという名でした。
「訳者注」(ジェム・オブ・フェーンはスコットランドの貴族モントローズ公爵所有犬アイル・オブ・アラン系(アオア系)8頭の中の1頭アイル・オブ・アラン・フリートと直仔です。)
私はこのフェーンに、フランク・オブ・サニーローンという優れたシューティング・ドッグを交配して繁殖しました。これがエルフュー犬舎の始まりです。
それ以来、私は自分が繁殖した犬をエルフュー・ポインターと呼んでいます。
──その時、何歳でした?
ボブ 十五歳でした。
──エルフュー(ELHEW)という接頭辞はホイール(WEHLE)を逆に読んだスペルですね。
レキシントン・ジェークやエアー・パイロットについてはどう思いますか?
あなたは著書『スネークフット・ザ・メイキング・オブ・ア・チャンピオン』の中で、彼らは「エルフュー・ポインター系の源泉」と考えられると書いていますね。
ボブ 本の中で言っているように、レキシントン・ジェークは偉大なサイアー(種牡)の一頭です。例えば、スネークフットの血統の中にレキシントン・ジェークが十四世代遡ると四百十六回出現します。エアー・パイロットも優性遺伝のサイアーで、数多く使いました。
──あなたが最初から明言している目標は、「フィールド・トライアルで勝つ。そして見た目に楽しい。さらに最も優れたスポーツマンを満足させるガンドッグとして、体構とパフォーマンスにおいて傑出している必要があり、スポーツマンが何世代にもわたって誇りにするのに必要な特性を持つことができるポインターの系統を開発」することでしたね。
しかし、インブリードやラインブリードを強調するあまり、エルフューの繁殖プログラムに困惑している人たちもいます。
ボブ 何年もの間、インブリードという言葉は悪いこととして受け取られてきました。低能、知恵遅れ。そして、あらゆる種類の肉体的欠陥を引き起こすといったように。
しかしながら、これに対する唯一の論理的な説明は、関係していた個々の犬が既に欠陥があり、不適当なものであったということです。
この種の繁殖は、好ましい特徴と、好ましくない特徴の両方を強化するのです。その鍵(キー)は、論証できる優れた個体だけを選択することです。
私はインブリードとラインブリードという用語を常に混同していました。何年もあらゆる種類の相違を聞いてきましたが、まだ明らかなものを除いては違いが分かりません。
インブリードは接近した第一世代あるいは第二世代以内に、一方、ラインブリードはさらに後ろ、おそらく第三、第四あるいは第五世代に二回か、それ以上出現することです。
私たちの繁殖プログラムは、インブリードとラインブリードの両方のコンビネーションであると表現するのがベストでしょう。
【サラブレッドでも成功】
──あなたは競走馬の繁殖でもかなりの成功を収めていますね。
ボブ 大学を卒業した後、動物の繁殖に戻りました。既にポインターを繁殖していた私は、豚、乳牛、競走馬の繁殖に取り組んだのです。
──競走馬の魅力とは何ですか?
ボブ 私は偉大なネイティブ・ダンサーを基礎にした競走馬の系統を作りたかったのです。ミッドウェーの低地の端にレース用のトラックを作り、一年間に十八頭の馬を常に訓練しました。そのために馬丁と騎手とを十二人雇いました。
私はそれまでの慣例に全くこだわらない訓練法を取りました。レース・トラックで働いたことがある人の助言や、結果が予想されるアイデアは導入したくありませんでした。
──どの馬が最高でしたか?
ボブ 三年連続でニューヨーク州のホース・オブ・ザ・イヤーになり、全国でトップの一頭になったウインという馬ですね。ウインは一四〇万ドル稼ぎましたが、活躍する前に八〇〇〇ドルで売却していたので、その恩恵にはあずかれませんでした。その他に私が所有する馬八十頭を二十年くらい前にサラトガでのオークションですべて売却しました。
──どうして馬の繁殖をやめたのですか? もう馬が嫌いになったのですか?
ボブ いえ、好きですが、あまりにも大仕事でした。五十年に及ぶ犬の繁殖と同じ結果を得るためには、馬では二〇〇年はかかってしまいます。とても、私にはそんな時間がありません。
──あなたは本を執筆したり、愛犬のブロンズ像を作ったりと、本当に多芸多才であると聞いています。
ボブ 私はマークスマンのブロンズ像が欲しかったのですが、それを作ってくれる人がいませんでした。そこで粘土を手に入れて、自分で作ることにしたのです。
──あなたは専門の学校には行かれなかったのですか?
ボブ はい、正式な美術の研修は全く受けていませんし、それが必要だとも思いません。私はテーマに合った本を数冊入手し、独学で学んだだけです。私は自分が作ったマークスマンの彫像を、ニューヨークで行われた動物彫刻家協会の展覧会で出品しました。それが入賞し注目を集めたのです。
──本当に素晴らしい彫像でしたね。他にも、各地のトライアルの開催地に、自分で作られた実物大以上のエルフュー・ポインターの彫像を寄贈されていますね。
ボブ そうです。ニューヨーク州カレドニアのスポーティング・アート・ギャラリー内のカントリー・ミュージアムには、スネークフットの彫像があります。ユニオン・スプリングスにはスネークフットの記念碑が、グランド・ジャンクションのバード・ドッグ・ミュージアムにもあります。
スタジオやギャラリーではブロンズ像が売られています。ニューヨーク州サケッツ・ハーバーに芸術品の販売代理店としてライム・ロック・ギャラリーを開店しました。
【訓練哲学は親切と根気】
──『ウイング・アンド・ショット』や『スネークフット・ザ・メイキング・オブ・ア・チャンピオン』といった本を書いた動機をうかがいたいのですが。
ボブ 訓練でやるべき手順を段階的に分かりやすく伝えたかったのです。
私には文才はありません。電気製品を購入した時についてくるマニュアルのように、誰でもが理解できるように心がけました。
──あなたは自分自身を過小評価しています。『スネークフット・ザ・メイキング・オブ・ア・チャンピオン』には多くの芸術的な特性が示されています。
ボブ ありがとうございます。 あの本は私が心臓の手術で一年間療養中の時に書き上げました。いつかは書きたいと思っていましたが、時間がかかるテーマでしたので、ちょうどいい機会でした。
──執筆の主な目的は?
ボブ 一つは、犬にストレスをかけたり拷問することなく、痛みのない訓練方法を知ってもらうことです。
もう一つは、「ドライ・ハンティング」というコンセプトを確立することでした。このドライ・ハンティングで使われる銃が空包だということです。そこが狩猟と大きく違うところです。
私たちのスポーツの本質は、仕事をしている犬(猟芸)を楽しむことにあると思います。ドライ・ハンティングは、魚釣りのキャッチ・アンド・リリースに似ているかもしれません。
──初めてのドッグ・トレーナーは誰でしたか?
ボブ 私はいつも自分で訓練するので、トレーナーというものを使ったことがありませんでした。しかし、仕事でトライアルに行けない時はポール・ウォーカーやアーサー・ビーンが私の代わりを務めてくれました。彼らは最高でした。
また、アール・クラングルと多くの時間を過ごしました。彼は私に訓練について多くのことを教えてくれました。
──あなたは新しくエルフューの仔犬のオーナーになる人に送る手紙の中で、「エルフュー・ポインターは知能と献身のために繁殖されてきており、優しく訓練しなければならない。肉体的な(乱暴な)処罰にはうまく応じない」ということを伝えていますね。あなたの訓練哲学とは何ですか?
ボブ 親切と根気です。犬の尊敬と称賛を得るべきであると思います。私は犬を手酷く扱うトレーナーを決してよくは思いません。
──しかし、多くの残忍なトレーナーが存在することも事実ですよね。
ボブ 私は犬を残酷に扱うトレーナーが我慢できません。すごく恥ずかしいことです。打たれたり、叩かれたり、あるいは引きずられたり、首を絞められた犬の話を聞くと心が痛みます。
これは訓練者が、犬を適切に訓練できず、犬のことを全く理解していないということです。彼らは適切な方法で犬を訓練する能力を持っていません。その犬は犠牲者だといえます。
──訓練プログラムに対する繁殖の効果は何でしょうか?
ボブ 訓練で厳しさを必要としない、知的で鋭い本能的な犬を入手することが可能です。
──あなたは優れたポイント本能、ゲームの取り扱い、喜ばせる気質を「遺伝的に訓練された」と表現していますね。これまで見てきた多くのエルフューの仔犬に顕著に見られる特徴です。彼らは十週齢から自然にポイントとバッキングをし、四カ月齢から五カ月齢でフラッシュするまで鳥を抑えています。
ボブ そうです。これは六十年にわたる繁殖で一貫して私が追究してきたことです。
繁殖を始めた頃は、その年齢の仔犬は鳥を探して追いかけ回し、仔犬を訓練するのは容易ではありませんでした。
しかし今では、私たちの繁殖プログラムの中でポイント本能を鋭くすることを目指した結果、仔犬たちにストレスを全くかけることなく、完全に犬を仕上げています。
犬たちは自分自身で訓練します。遺伝的に訓練したというのは、そのことを言っているのです。現在では適切な繁殖によって、ストレスに満ちた肉体的な(乱暴な)処罰は全く必要ありません。
──親切と穏やかな訓練という立場からすると、訓練器具として電気ショックの使用についてはどのような意見をお持ちですか?
ボブ 電気ショックは訓練の中で必要とされる理由があります。しかし、残念なことに、しばしば誤った使い方がされています。
低い強度(インテンシティー)で適切に使われている限り、問題ありません。なかには誤った使い方をして、犬を焦がしてしまう人も見かけますが、これは全く役に立たないだけではなく、犬を台無しにする恐れがあります。
こういう人は電気ショックの使用、あるいは犬を飼うことを禁じるべきです。彼らの首に電気ショックを付けて、その反応を見るのも面白いかもしれませんね。
──あなたが電気ショックのボタンを押すのですか?
ボブ そうです。喜んで押します。
【野生ウズラの楽園】
──ここへ登って来る途中で四十頭あまりのシカを見ました。南部には数千頭のシカがいて、農園主がシカの群れを減らすためにハンターを雇っていると聞きました。
ボブ はい。シカはたくさんいますよ。ただ、州外から来たディア・ハンターの中には、どこにでもゴミを捨てたりするマナーの悪い者がいて、評判を落としています。
──鳥猟はどうですか?
ボブ ゲームはとても少なくなりました。私はシカと同じくらい野生のウズラがいればいいのにと思います。
──野生鳥は南部ではどこも少ないようです。多額の費用と時間をかけてきた多くの大農園に行きましたが、一部を除いて、どこも鳥が少ないのが現状です。ウズラに何が起こったのでしょうか?
ボブ 野生のウズラはもう残ってはいません。この場所には五十四の野生の群れがいましたが、現在はおそらく一群れしか残っていません。生物学者たちは私たちに何年もウズラを増やす方法を提案してきましたが、結局、すべてのウズラはいなくなりました。彼らは間違った方向を研究しているのではないでしょうか。
──なぜ、ウズラがあなたの所や他の大農園のような私有地からいなくなったのでしょう。餌や環境保全、捕食動物の管理といったあらゆる努力がなされてきたと思いますか?
ボブ とても重要な質問です。私は解答を示すことができませんが、ウズラがどこに行ったかだけではなく、他の小動物についても重大な関心を持っています。大気の変化、放射能、地球温暖化、酸性雨といった様々な方向から研究することで、まだ私たちの知らない解決策が見いだせるかもしれません。
──あなたはフィールド・トライアルで長い間活躍され、輝かしい足跡を残されていますが、初めてトライアルに参加されたのはいつですか?
ボブ 一九四〇年のバブソン・インスティテュートがトライアルへのデビューでした。この時、ハンドルした犬は確かエルフュー・ミッジです。彼女はフランク・オブ・サニーローンとジェム・オブ・フェーンとの間にできた仔犬で、私が初めて繁殖した犬でした。
──どこで開催されましたか?
ボブ マサチューセッツ州カーライルの美しいフィールドでした。このトライアルでは忘れられないエピソードがあります。その土地に不案内だったのと、前の晩、強風が吹き荒れてフィールド・トライアルの看板をなぎ倒したことが原因で、私は道に迷ってしまい、競技会場に着いたのは対戦相手が出走した一時間後だったのです。
ところが、私が事情を話すと、それまで一度も会ったことのないクラブの職員たちは、最終組にバイドッグでミッジの出走を認めてくれたのです。そして、ミッジもやってくれました。彼女はウズラに九回の素晴らしいポイントをしました。
──それ以後、何十回ものチャンピオンシップやナショナルのタイトルを含め数多くの入賞をしていますね。ジプシーやスネークフットといったあなたのポインターはナショナル・シューティング・ドッグ・チャンピオンシップを獲得し、他にもナショナル・グラウス・チャンピオンシップを獲得した犬もいますね。
また、あなたはエルフュー・ジャングルをハンドルしてナショナル・フェザント・シューティング・ドッグ・チャンピオンシップで連続三回優勝されていますが、これらの勝利の鍵は何だったのですか?
ボブ 熱心な訓練と良い犬です。私がトライアルを始めた頃を振り返ると、今とは違って、傑出した犬を連れた良いアマチュアがプロと互角に戦うことができたのです。ナショナル・フェザント・シューティング・ドッグ・チャンピオンシップが良い例です。多くのトップ・プロたちは、こぞって彼らの最も良い犬をこのチャンピオンシップに出犬してきました。ところが、このチャンピオンシップの初めの十一年間は私と、やはりアマチュアのアルビン・ニッチマン博士が五回ずつチャンピオンを獲得しています。
──プロの闘志をかき立てたに違いありませんね。
ボブ 本当にプロの感情を逆なでしたものです。
──アマチュアとプロの関係は変わりましたか?
ボブ とても変わりました。私たちが五十年ほど前にやったような方法で、アマチュアがオープン・ステークに参加しプロと戦えるかどうか分かりませんが、私はアマチュアとオープン・ステークは、そのアイデンティティーが変わったと聞いています。私はこのスポーツの将来のためにも、アマチュアが認められるべきだと思っています。現在、プロがアマチュアを批判する傾向がありますが、それは間違いです。アマチュアはこのスポーツにとって不可欠な存在です。
──一番大きく変わったのは何ですか?
ボブ プロたちが方法(ペース及びレンジ)を変えたことです。彼らは過去に選ばれた素晴らしい犬たちを尊敬していません。例えば、グランド・ジャンクションでは、過去にトライアルに適応するように計画されていた犬は、プロには評価されません。彼らが評価する犬の三分の二は逃げ去るか、あるいは完走しないかのどちらかです。
──その解決方法は?
ボブ 私たちは快適なシューティング・ドッグ(実猟犬)の復活を果たさなければなりません。それがすべてです。
──実猟犬とフィールド・トライアル犬との違いは何だと思いますか?
ボブ 私はフィールド・トライアルと狩猟を区別していません。良い犬は良い犬なのです。私にとっては全く同一です。つまり、良いトライアル犬は、良い実猟犬だということです。狩猟に使えないような犬は、私のエルフュー犬舎にはいません。
──あなたはジャッジ経験が豊富ですよね。
ボブ 私は随分ジャッジを務めましたが、望ましいジャッジだっとはいえないでしょうね。
──それはなぜですか?
ボブ 現在、プロが飼っているシューティング・ドッグの速いペースに異議を唱えたからです。それは実猟犬のペースではありません。彼らは速すぎます。
──犬の力量についてはどうですか?
ボブ シューティング・ドッグはクラス、スタイル、スピード、そして総合的な応用においても絶えず進化していると私は思います。それが私たちの繁殖プログラムの目標です。
──トレーニングも、同じく進化しましたか?
ボブ 進化したと思います。応用も随分変わりましたが、彼らはより洗練された方法を持っています。
──フィールド・トライアルにおける友情を、あなたが始めた頃と比較するとどうですか?
ボブ 全く別のものです。私が始めた頃のトライアルは一流(クラッシック)のイベントでした。私は人々との友情を楽しみにしていました。スポーツマン・シップも全く違っていました。当時を振り返ってみると、それは本当に素晴らしいものでした。
──あなたがトレーナーのゲーリーとダイアン・クリステンセンをとても高く評価していることを知っています。彼らはあなたの犬で多くのチャンピオンシップを獲得しています。最近はスネークフットでナショナル・シューティング・ドッグ・チャンピオンシップ、そしてシューティング・ドッグ・オブ・ザ・イヤー・アワードを獲得しました。しかし、あなたは現在トライアルへの出犬を減らしています。また、ゲーリーとダイアンもトライアルに参加していません。それはどうしてですか?
ボブ 私たちが出犬を減らした理由の一つは、出走する犬のための鳥が十分にいないということです。素晴らしい犬を作り上げても、鳥がいないコースを出走させるのでは意味がありません。
──その問題は解決できますか?
ボブ 解決できます。鳥をすべてのコースに供給することだけでよいのです。しかし、多くのクラブはそれが必要なことだとは感じていないようです。現実には多くの良い犬がトライアルに参加していますが、コースに鳥がいないために鳥を見つけることができません。そのため、最高の犬が必ずしも勝つわけではありませんし、勝つチャンスさえ与えられないのです。それをクジ運と呼ぶこともできますが、コースに鳥がいないと分かっていて走らせることは不公平です。
──偉大なスネークフットを五才という若さで引退させた理由は?
ボブ 私たちに再びツキが回ってきて数羽の鳥がいるコースを引き当てるチャンスは十分の一の確率であるという事実でした。私はスネークフットのイメージが損なわれる事を見ることはできませんでした。ゲーリーとダイアンをとても大切にしていますし、彼らはとても才能があるトレーナーです。しかし、鳥のいないトライアルに出犬するのは健全ではありませんし、それは良いスポーツとはいえないと思います。
──そこに鳥がいないコースがあったとしても、まだ野生鳥がいるというのが、あなたの犬の多くがグラウスの森に入っていった理由ですか。
ボブ そのとおりです。私はグランド・ナショナル・グラウス・アンド・ウッドコック・インビティーショナルが最も論理的なトライアルであると思っています。私はグラウスの森の最良の十六頭が厳正なポイント・システムで選ばれて、それから異なるコースで、異なるブレースメイトとの三日間の競技に参加するというこの形式が好きなのです。もし、彼らが鳥のいないコースを引き当てれば、次は鳥がいるコースに当たるというチャンスがあります。私は最高の犬をチャンピオンに選ぶのに、これ以上の良い方法は思い浮かびません。
──あなたのエルフュー・ポインターを連れてグラウスの森でデビッド・カルガニ博士が見せた、驚くような成功についてはどうでしょう。彼は競技に参加して五年たらずなのに、十三回のチャンピオンと多くのラナー・アップを獲得しました。こんな記録は他にはありません。
ボブ デビッドはクラス・ドッグをハンドルする適応性にかけては、これまで私が出会ったどの人よりも素晴らしいものを持っています。彼は一番優秀なトレーナーです。私はグラウス・ドッグをシューティング・ドッグやオールエージ・ドッグと区別していません。クラス、スタイル、粘り強さ、そして他のすべての特質を持つ良い知的な犬は優秀なグラウス・ドッグとなるべきです。
──ポインターがカバー・ドッグ・ステークでこのように成功して驚きませんでしたか?
ボブ ポインターがグラウスの森でうまくやっていることは別に驚くことではないと思います。私は基本的に藪や鳥、そして環境に順応する方法を知っているのは、彼らの知性によるものと考えています。
──しかし、なぜポインターがセターによって支配されていた多くの森のトライアルに勝利したのでしょうか。
ボブ 私は彼らが遺伝子プールでセターを少し悪化させたのではないかと思います。サム・ライツに始まって、キビキビとした小さな歩様のこれらのセターは魅力にあふれていました。多くのセター・ブリーダーが交配しに行きましたが、そのことが相当グラウス・セターを傷つけたと思います。その犬は肉体的な手段、つまりサイズがありませんでした。
──スネークフットであなたの繁殖プログラムは究極点に達しましたか?
ボブ 繁殖プログラムには究極点はありません。私は常により良い犬を繁殖しようとしています。実際、現在(一九九七年)、エルフュー犬舎の看板犬と呼べるディスカバリーという若犬を飼っています。これまで飼っていたのと同じくらいエキサイティングな犬です。
──彼の血統は何ですか?
ボブ カラミティー・アンにスネークフットを交配したものです。もし雨が降っている時にこんなにハイヘッドでポイントしたら溺れてしまうのではないか。また、あまりにも乾燥している時にそんなに速く走ったら、草原が火事になるのではないかと心配で、私が十分に彼を走らせられないのが問題です。
──素晴らしい問題をお持ちですね。
ボブ 真面目ですよ。素晴らしい能力を持っているので、彼がミスをするのが怖いのです。スネークフット以上に凄い犬であることは間違いありません。スネークフットを犬舎から連れ出すと、彼は楽しそうに三回グルグル回ります。ディスカバリーは六回も回りますよ。
──しかし、あなたはスネークフットが今までで最も良いサイアーだとおっしゃっていますね。
ボブ そのとおりです。スネークフットはこれまでに飼った中で最も良いサイアーであることは疑う余地はありません。しかし、ディスカバリーはまだ若犬で前途洋々で、ワクワクします。
──プロにディスカバリーを委ねないのですか?
ボブ 彼はここに置きます。
──しかし、ディスカバリーがスネークフットから生まれた最良のものであるならば、彼にいくつかのメジャー・チャンピオンシップのタイトルを付けたくありませんか?
ボブ タイトルにそれほど関心はありません。チャンピオンシップは現在、非常に広く開催されており、三、四十年前とは違っています。
──現在のフュチュリティーについてはどうでしょうか?
ボブ 私はU・S・クウェイル・フュチュリティーとナショナル・フェザント・シューティング・ドッグ・フュチュリティーのために内規を作ることに関わりました。そして正しい年齢で犬を登録するよう非常に厳格なルールを作りました。もし犬の年齢をごまかした場合、その人はフュチュリティーに出犬するのを永久に禁じられると書いてあります。しかし、この前、私がフュチュリティーに出犬した時、四才の犬に負けて二位になりました。こんなことをしていたらトライアルからロマンが失われてしまいます。
──あなたはパピーやダピー・ステークに出犬しますか?
ボブ 全く出犬しません。現在、パピーとダービーの問題は「私の犬はあなたの犬よりも遠くまで走れますよ」というような一種のマッチョ・シンドロームです。レンジが犬を審査する唯一の基準のようですが、素晴らしい若犬に、年相応と思われる以上のレンジを求めたくないのです。これが出犬しない理由の一つですが、他にも考慮されるべき重要な特性がたくさんあるはずです。
──何人かのジャッジは、仔犬の時に極端に走らない犬は、成長した時にすべての藪を捜索できるほど十分に広く走らないと思っているに違いありません。
ボブ それは間違いです。利口な犬は藪に順応します。利口な若犬はあなたが何を求めているかを知ると、すぐにそのように行動します。優秀なトレーナーはこれを引き出すことができます。
──あなたはここミッドウェーで、本当に犬が好きで犬のことを理解しているビル・リチャーズの素晴らしい援助を受けましたね。そしてニューヨークには四十年間も犬舎を運営しているチェスターそしてエラ・シュルツがいますね。
ボブ 彼らはかけがえのない、とても大切な人たちです。ビルは犬を訓練することを含めて何事にも熟練しています。チェスターとエラは素敵な夫婦で、仔犬を育てることに関しては達人です。私の成犬が非常に友好的なのは繁殖のためだけではなく、生まれた直後からのエラの正しい社会化の方法によるものであると常に言っています。
──あなたの妻ガトラはとても美しく思いやりがある方ですが、ここでのライフスタイルに完全に調和しているように見えますね。
ボブ ガトラはここから真っ直ぐ下ったアラバマ州ユウフアウラ近くの出身です。彼女はすべてにおいて素敵な人で、彼女は私が愛するものすべてを愛し、自然と犬を愛しています。
──あなたとガトラが引退した時にエルフユー・ポインターの遺産はどうされるのですか?
ボブ 私は引退しません。ずっと犬舎を続けるつもりなので、その将来は私がどれくらい長く生きるかにかかっていると思います。私たちは以前より多くの犬を繁殖していますし、これからも継続していく計画です。
──でも、いずれは誰かにエルフューのたいまつ(伝統)を引き継がねばなりませんね。
ボブ 私は誰がこの犬舎を引き継ぐか分かりません。売れればよいというブリーダーがいますが、無差別な繁殖はいとも簡単にその系統を傷つけることになります。しかし、私は遺伝子プールを純粋に保つであろう十分に献身的なカルガニ博士のようなブリーダーがいることを望んでいます。
「訳者注」ボブは、このインタビューでは否定しています。
しかしこの時点でガトラと話し合いブライアン・T・ヘイズにエルフュー犬舎を引き継いでもらうように決断していました。
一九九六年発刊の著書『スネークフット・ザ・メイキング・オブ・ア・チャンピオンシップ』にも書かれています。
ブライアンはエルフュー・ジョージを最後に競技会を辞めて、エルフュー犬舎の大半の犬を自分が運営するチョークボア犬舎へ持ち帰りました。
ELHEW KENNELS, ROBERT G.WEHLE, P.O.Box 704, MIDWAY, AL 36053 (334) 529-3319
米イリノイ州シカゴ市『アメリカン・フィールド』誌のご好意により掲載
( Coutesy of the American Field, Chicago, Illinois )
UpdateDate(C)2019/09/29