★ ロバート・G・ホイールの横顔 ★


米国ではロバートを親しい意味を込めてボブと呼ぶそうですので以下ボブと呼びます。

ボブが少年時代の好きなヒーローはカリフォルニアの有名な植物ブリーダー・ルーサー・バーバンクや種の起源の著者チャールス・ダーウィンとエンドウ豆で実験したオーストリアの遺伝学者グレゴール・メンデルと言う一寸おかしな少年でした。

水耕法という単語が生まれる前に、十代で、ドイツやアジアから珍しい種子を取り寄せ自然環境での亜種などを心配して自然界から隔離して水耕法で植物を育てたり、1936年代の終わりに大流行したシルバー・フォックス(ギンギツネ)を大学に進学するまで繁殖し大成功しました。

又、ボブは、スポーティング・ブロンズ専門の賞賛を浴びた彫刻家でもあります。
主に自分のポインターや純血のサラブレット、野生の動物、および時にはブロンズ像などを制作しました。
これらボブの完璧な作品はニューヨーク州サケッツ・ハーバーのライム・ロック・ギャラリーで見ることができます。

         

ボブは大学を卒業すると同時に、再び動物の繁殖を始めました。
最初は豚で、交雑を重ね、年間400匹生産しました。
シカゴ市場の豚価格と比較して粗食で飼育できるので餌代が安価で施かも最高価格を得る繁殖に成功しました。
この間15才から始めたエルフュー犬舎のポインターは、そのプロジェクトで活発に核心を追求していました。

次に乳牛について2年間、血統や重要な雌の系統を猛烈に勉強し、それらの畜産と繁殖についてボブの出来ること全て学び10年かけて30,000頭以上のニューヨーク州で最も高い脂肪を生産する群れを持ち、農場主を魅了するミルクとバター脂肪の記録を達成し多くのチャンピオンを作りました。
その中の1頭、ナショナル・チャンピオン・グリーナウェイ・デンバー・サバランと命名された若い雌牛は、2歳で年間8.2トンのミルクを生産しました。

National Champion 
 

次に、アラバマ(Alabama)州で競走馬のサラブレットの系統繁殖に没頭しました。
ここでの核心は偉大な競走馬ネイティブ・ダンサーを基礎に系統を構築した競走馬を作る計画でした。
ネイティブ・ダンサーのハンサムな息子ムービング・ターゲットを候補に選びました。
ネイティブ・ダンサーの孫娘にムービング・ターゲットを交配してまあまあの成功を達成しました。
ボブは今までの慣例にとらわれず自己流のトレーニングを行いました。
それは魅惑的であるが非常に骨の折れる任務でした。
不運にも犬で試みたように馬の系統を純化するには、50年間の犬の繁殖と同じ結果を達成するには馬を200年以上繁殖をする必要があると気づきました。
非常に成功した1982年に78頭の一群を全て売り払い競走馬の系統繁殖を諦めました。
其の一群の中のウイン(Win)は、偉大な競走馬であり続けました。
ウインは3年連続ニューヨーク州のホース・オブ・ザ・イヤーを獲得して、新しいオーナーのために140万ドルを稼いで、ナショナル・トップ・ホースの1頭になりました。

   

次に9年間、粗食で良質の肉牛スコッチ・ハイランド・キャトルの群を繁殖し非常に評価を受けました。
又、1枚の白い羽を持った伝書鳩を基礎に純白の系統を作ったり、非常に静かな野生七面鳥の繁殖や、闘鶏の繁殖などを手がけました。
ボブは世間からは遺伝学者と高く評価されましたがボブは只運が良かっただけだと答えたそうです。
その他出版会社の責任者やゼネシー・ブルーイング・カンパニーの経理、販売および広告担当重役などを歴任しながらひたすらエルヒュー・ポインターの系統繁殖を続けたのであります。
又、彼は、生まれながらの自然保護論者でありボブの犬舎にはセメントやプラスチック材料は見当たらず自然消滅する鉄や木材を使って居るのが特長です。

   

この様な経歴を持つ、ロバート・G・ホイール氏は、ニューヨーク州スコッツビルとアラバマ州ミッドウェイに住むエルフュー犬舎の犬舎主であり、経営者でした。
ボブの意志通り亡き後は、ニューヨーク州スコッツビルの183万6000坪の所有地全てをニューヨーク州へ寄付しアラバマ州ミッドウェイの183万6000坪の所有地もアラバマ州へ寄付しました。
現在ニューヨーク州スコッツビルの一部は狩猟区として解放されているそうです。

ボブは猟犬の訓練から作出に生涯の大部分を費やしてきました。
エルフュー・ポインターと共に猟をし、フィールド・トライアルにおいて、実際にエルフュー・ポインターをハンドルし、審査もしました。
ボブは、1936年から実猟犬の系統の作出に着手され、27年に及ぶ血の滲むような努力と研究の結果純粋な遺伝子プールを確立し、エルフュー系統を確立しました。
ボブの主な輝かしい功績は、数多くのナショナルチャンピオンを作出した実績です。
ボブは1974年に殿堂いりしました。
1991年にエルヒュー・ダンシング・ジプシーでトップ・シューティング・ドッグ・アワードを獲得
1995年エルヒュー・スネークフットでトップ・シューティング・ドッグ・アワードを獲得
1999年エルヒュー・ラジテーターがトップ・シューティング・ドッグ・アワードを獲得
2005年エルヒュー・スネークフットが殿堂入りと言う輝かしい功績を残しています。
ボブはこれに止まる事無く生後16ヶ月のエルヒュー・スネークフットをエルフュー・シークレットに交配しエルフュー・トム・フールを作出しました。
1995年エルフュー・トム・フールは生後36ヶ月、3才の若さでナショナル・プレーリー・チキン・チャンピオンシップを獲得し、父親のスネークフット以上の特質を持った看板犬の一頭となりました。
この偉業は1936年スコットランドから輸入したアオア系台牝ジェム・オブ・ファーンの血統が59年経過してもニホンキジを得意とする血統を失っていないことを証明しました。
ジェム・オブ・ファーンはモントローズ公爵のアオア系八頭の中の一頭アイル・オブ・アラン・フリートの直仔でボブの父親がスコットランドで実猟のテストをした結果一番優秀だったので息子のボブへのお土産に輸入したアオア系台牝です。
これは現在でも実猟マンの間で人気の高い明治大正末期以降に輸入された系統が在来犬として使役されて居ます。
例を挙げればアオア系、スタイリッシュ系、スモー系等です。
この在来犬達もスコットランドの系統を継承しているのです。
ここで特筆すべきは、ニホンの山野に生息するニホンキジは世界中でニホンにしか居ないと言う事です。
従いまして鳥猟犬産出国ではニホンキジ用の鳥猟犬の作出はされていません。
然し乍らスコットランドやヨーロッパに生息するRed GrouseやChickenなどの中にニホンキジの様な逃避能力を持ち備えたゲームが偶然にも存在していたためにそのゲームを得意とする血統がニホンキジを得意とする血統として認知されたと思います。
換言すればRed GrouseやChickenを得意とする血統で無いとニホンキジを狩るための鳥猟犬としては疑問が残ります。
さらにエルフューポインターは、NationalChampion・ダンズ・フェアレンス・バッドのアウトクロスによりスコットランドの聖地へと遡る系統へとより進化しました。
つまり、ウズラやリングネック・キジを得意とするエルフューポインターがグラウスやヤマシギを得意とする系統へと進化し、さらにプレーリー・チキンを得意とする系統へと進化したのです。
特筆すべき点はプレーリー・チキンに強いエルフューポインターは同じ性質を持ち備えた日本キジを得意とする系統と言う事になります。
プレーリー・チキンと日本キジの逃避行動は犬の足跡、地響きを察知して、這って逃げたり飛んで逃げるのです。
日本キジが地震の予知能力があるというのはこの地響きを感じ取る予知能力なのです。

ボブは1964年ストレスのかからない訓練についての著書・ウイング・アンド・ショットを出版し40年以上たっても現在第6版でベストセラーの地位にあります。
1991年には、ウイングアンドショット本の改訂版の2時間のトレーニングビデオを完成しました。
1996年熟練したトレーナーやブリーダーが数年も待ち望んだ著書 スネークフット、ザ、メーキング、オブ、ア、チャンピオンを出版しました。

       

ロバート・G・ホイール氏は、2002年7月12日の夕方肺炎のため享年82歳で亡くなりました。

その後、エルヒュー・ケンネルはロバート・G・ホイール夫妻が最も信頼のおけるブライアン・ヘイズ氏とマーサー婦人にエルフユー・ポインターとエルフユーの犬舎号を無料で与えました。
ブライアン・ヘイズ氏は、堪能なガン・ドッグ・トレーナーでロバート・G・ホイール夫妻は彼が大好きで、とてもよい仕事が出来るので生前より2人で決めていたそうです。

以上の経歴を持つボブは、1966年(昭和41年)頃までは日本のトライアルマンに対して好意的であったがいつの間にか人種差別とも言われる程に日本人への直接エルヒューの犬の販売を拒んだのであります。
どうしてこの様な事態になったのか私にとっての研究課題の一つでした。
ウイング・アンド・ショットの翻訳にあたってのボブからプレストン将軍への便りの内容から察するにボブの作出犬エルヒューが日本人の訓練ミスの為に評価されず単なるエルヒューの名前のみ一人歩きし金儲けの為に使われた事が彼の怒りに触れたのではないかと思います。
そのほかにも理由がありますがここでは割愛させて頂きます。
犬種の歴史上もっとも素晴らしいポインターの系統の繁殖に成功したエルヒュー犬舎主ボブがウインド・アンド・ショットの翻訳に関連したプレストン将軍への手紙の内容を記載します。

親愛なるプレストン将軍殿
1966年4月11日
大変遠方からでしたが貴殿から再びお便りを頂戴出来た事は大変嬉しく存じます。
日本の方々がウインド・アンド・ショットの、どの部分でもご希望なだけ翻訳される様喜んで居ります。
又そうされる事を承認致します。
私は出版元であるカントリー・プレス・パブリッシングカンパニーを所有して居りますので出版者の許可も心配なく得られます。
私唯一の希望は翻訳された、日本語版を数冊お送り戴き、又ジャパン・フィールド・クラブの会員となりたい事です。
無論ジャパン・フィールド・トライアル・クラブのいくつかの刊行物が英訳される事を望みます。
貴殿の出版を楽しみにお待ちして居ります。
敬具
ロバート G.ウィール

プレストン将軍 
 

日本の某資本家のかたが通訳を引き連れてエルヒュー犬舎を訪れた時、話には応じてくれたが犬の商談を打診するとエルヒュー犬舎には売る犬は1頭も居ませんとはっきり断られたそうです。
その後、日本に輸入されたエルヒューポインターは全て第3者を通じての輸入やテスト繁殖されたものでエルフュー犬舎からエルフュー系統の繁殖用素材犬の牡犬も牝犬も輸入されていません。
エルヒュー犬舎の犬はボブの犬識眼で確かな仔犬を選別する事により立派な素材犬につながるのです。
日本では私の知る限りエルヒューの系統繁殖を永続している犬舎は一軒も知りません。
米国でも信頼できる犬舎は私の調べた限りブライアン T. フェイズ氏の管理するエルフュー犬舎と繁殖用のエルフュー系統が居るのはオータムメモリー犬舎だけでした。
オータムメモリー犬舎主は、グラウスの森の若い期待の星と賞賛された、カバードッグの訓練では右に出るものが居ないと言われる超ベテランガンドッグトレーナーです。
彼がエルフュー・ゲームマスターで、グラウス・ドッグ・チャンピオンシップで3回チャンピオンを獲得し、グランド・ナショナル・グラウス・アンド・ウッドコック・インビテーショナル・チャンピオンシップでRU(2位)を獲得した実績の持ち主です。

スネークフットをハンドルしたクリステンセンはボブに指を突き出して、もしボブが今すぐスネークをオータムメモリー犬舎主デヴィッドに譲渡すれば、1年以内にグラウス・チャンピオンになるでしょう。
私はそれを保証すると言ったそうです。

グランド・ナショナル・グラウス・アンド・ウッドコック・インビテーショナル・チャンピオンシップとは、我々日本の猟野見たいなカバー(藪の中犬)で働かせる素晴らしいカバードッグを分類する方法です。
アメリカで選び抜かれたベスト12頭の代表カバー・ドックが招待され、前年度のチャンピオンとラナーアップを含め14頭が3日間グラウスとヤマシギのフィールドを使い、それぞれ異なった3コースで競いその特質を証明する競技会です。
近年GPS首輪の装着などボブが懸念していたハンティングペースを逸脱した競技会はだんだんひどくなりつつあるように思われます。
グランド・ナショナル・グラウス・アンド・ウッドコック・インビテーショナル・チャンピオンシップに参加した犬も疾走してしまう犬やゲーム以外のカメなどをポイントする犬も居るようです。
またメジャータイトルでは2013年の2月に43年ぶりにセターのシャドー・オーク・ボーがNationalChampionを獲得しました。
しかし39出走して3時間をフィニッシュできたのは9頭のみだったそうです。


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UpdateDate(C)2019/08/17